瓦の歴史

(1)瓦の発祥地

    1)メソポタミア説  ?疑わしい  (一説では5000年前)

  2)インド説     ?梵語に「カパラ」という字語があると言うだけで 現存する古瓦がない。

    3)中国説      所説はあるが約3000年前の周時代ではないか?(一説には4000年前とも)

                  古瓦が出土してるそうです。

    4)その他       ?古代バビロン  ギリシャ  いずれも疑わしい!

                日本

    4)その他の日本説とは

         「瓦」(ガ)と言う字は象形文字であるから中国で生まれた文字で「ワ」と発音するそうです。

         「ワ」は中国では「「土器」の事もさすそうで日本には古くから縄文・弥生式土器が発達していた

          事から中国から見ると日本は「優れた土器の国」と見たのかも知れません。

          その事から中国人は日本人の事を倭人(ワジン)と呼んだとする説もあります。

          また、日本では土を焼いて固めた土器類を「カワラケ」と言っていたそうで「日本書紀」の中で

         甲冑の事を「カワラ(伽和羅)」と言い亀の甲羅のように固く上を包むものの意味で、その事から

          日本では屋根瓦は「カワラ」と言い、「カワラケ」は土器類の総称として残ったのではないか。


(2)日本での歴史

    飛鳥時代

     588年(崇峻天皇元年)仏教伝来より36年後

      「日本書紀」によれば百済から「麻奈父、奴陽貴、文陵貴、文昔麻帝弥」の4人の瓦博士と

     2人の寺工(てらたくみ)と一人の鑢盤(ろばん)博士が渡来する。

     日本最古の瓦は「蘇我馬子」が飛鳥の地に造った飛鳥寺(法興寺)の瓦とされている。

       (1196年、焼失 その後発掘調査され創建瓦が出土、日本最古の瓦)

      ちなみに飛鳥寺は平城遷都で移され現在の元興寺となる。

      元興寺極楽坊本堂と禅室の屋根に当時の瓦が混ざっているかも知れないらしい。

      推古三十三年には「寺四十六所、僧八百十六人、尼五百六十九人」があったとしている。

      この時代は仏教の寺造りと共に瓦が使われたようです。

    奈良時代

     以後、奈良、近畿地方を中心とした造寺とともに地方に広まる。

      (持統朝には五百四十五寺にもなる。)

     このように渡来当初は瓦は寺にのみ使用されたが持統天皇の八年(694年)に藤原宮に

     移って初めて宮殿にも瓦が葺かれた。 以後、平城京、長岡京、平安京にも採用されている。

     最も多く瓦を作らせたのが「聖武天皇」

      平城宮や東大寺を造り、全国に国分寺を建てさせる。また、恭仁(くに)、紫楽(しがらき)

      難波(なんば)の都も造り、東北の多賀城、九州の太宰府、観世音寺なども完成させている。

       また、724年(神亀元年)には聖武天皇は五位以上の人と財力のあるごく小数の庶民には

      なるべく瓦葺きにした方が良いとの太政官令を出した。

      ちなみに平城宮には「瑠璃瓦」、平安京には「碧瓦」で葺かれた。

      ともに唐様式の影響を受けた唐三彩用の鉛釉に銅を発色剤とした「緑色」の瓦

      飛鳥、白鳳時代の瓦は実用品としても美術品としても最高だそうですがそれが

      このように奈良時代になると寺造りなどが多くなるにつれ瓦の製造量も多くなりしかも技術者も

      不足し、しだいに瓦の質が低下する。


    平安、鎌倉時代

     平安時代になると瓦の使用量が減少する。

     前記の粗悪品瓦に相まって雨漏りや地震、台風などでずり落ちたりする被害が

     出た事もその要因だと思う。

     また、この時代の空海、最澄によって広められた山岳仏教は山間部に寺を造る事で山間では

     瓦の製造、瓦の運搬が出来ない事などもあった。

     また、平地よりも気温が低く凍害の心配もあり自然と檜皮葺き(ひわだぶき)に移行する。


   室町、桃山時代

     この時代、瓦の量は少なくなったが法隆寺などの寺には専属の瓦大工いたことで伝統は守られた。

     瓦大工 寿王彦次郎橘吉重  釘を使わずにずり落ちない瓦を発明!

                   法隆寺南大門の屋根に葺く。

     桃山時代になって戦国武将によって城に瓦が使われるようになった。

        明人 一観は「燻し瓦」の製造法を伝える。現代の製瓦方法の基礎である。

     1576年(天正4年)織田信長は安土城を築城。その瓦の製造を一観に命じる。

     安土城には金瓦が使われたらしい。

     金瓦とは表面に漆を塗ってから金箔を押した瓦で安土城にはすべての瓦ではなく鬼瓦や軒先瓦の

     文様にだけ使われたらしい。

       金瓦はその他に「清洲、八幡、大阪、伏見、名護屋」などの城にも使われたそうです。

     残念ながら、安土城は1580年(天正7年)失火により全焼。完成後わずか4年である。

     この頃から瓦は寺から城へと使用範囲を移す。

     慶長年間には1年間で25の天守が築かれた年がある。(築城ブーム)


 江戸時代

     一国一城令が出された後は築城されなくなり瓦も減少

     瓦葺きの禁止

        当時の江戸の民家は板葺きや草葺きで家が密集していたためにたびたび火災が発生したらしい。

      1657年の明暦の大火では大名屋敷500、旗本屋敷770民家無数、江戸城も西の丸を

       除いて焼け落ち死傷者10万人を数える。

      禁止令の理由は消化の際、重い瓦が落ちて危険だとの事だが実際には財力の持った町人に

      贅沢な屋敷を造らせない為だったらしい。(格式を重んじる時代だったのでしょう)

     西村五兵衛正輝 (のちに西村半兵衛と改名)近江大津の人 三井寺用達の瓦工 

        1674年 桟瓦の発明!(江戸の火除瓦(ひよけがわら)を見て10年がかりで完成させる)

      寺などで使われる本葺瓦の平瓦と丸瓦を一つにまとめる事で軽量、かつ費用が少なくてすむ。

      「江戸葺瓦」「簡略瓦」とも言う。

      1720年 禁止令が廃止される。

       時は八代将軍吉宗の時代で逆に瓦葺きが奨励された。

       この時代の事はよくTVの時代劇にされていますが「あばれんぼう将軍」「大岡越前」の

      お陰で瓦葺きが奨励されるようになったのです。

       1720年3月27日 江戸の大火

             4月20日 瓦葺きの奨励を布告

             8月 江戸町火消いろは四十五組を創設

                 (この素早さは今の大臣、役人の方には見習って欲しいところですね!)

      さらに1723年には瓦にも10年年賦の「拝借金制度」を設け、庶民にも瓦を葺く事が

      出来るようになった。(この制度はその後120年間続く)

      この頃の話には諸説あり、度重なる大火で困っている人々を見かねた伊賀蜂朗次という人が

      「目安箱」に防火のために瓦葺きを許可されるようにと投書したところこれを吉宗が見て

      採用したと言う説がありますが、「目安箱」が江戸市中に設置されたのは翌年の1721年8月

      だとする説があり、小生ごときではどちらが正しいのか判断できません。


   明治時代

      フランス瓦の製造、ジェラール瓦

        明治の初め、フランス人のアルフレッド・ジェラールが横浜でフランス瓦を製造開始。

      (洋風建築用としてはじめての洋瓦製造)1872年頃から

      ジェラールは横浜に「A Gererd's Steam Tile and Brick Warks」と言う工場を造り当時では

       最新であったろう蒸気を利用した土練機や製瓦機を使ったらしい。

      また、彼は用心深く日本人に真似されないように工場内部は秘密にしていてしかも日本人を

      使わずに中国人ばかりを働かせていたそうです。

      (日本人の器用さを知っていたのか?、真似されるのを恐れていたのでしょうか?。)

      事実、1877年(明治10年)の「第一回内国勧業博覧会」には浅草の植松金蔵ら三名が

      フランス瓦を出品したとの事です。(わずか、5年後の事であります。)

           また、機械化にかけても九州の窯業会社らがフランス製の製陶機械を購入したが思うように

           使えずしだいにそれらの会社は没落していった。

      桟瓦の裏に突起をつけた引掛桟瓦を「工部省営繕課」で考案、1885年のロンドンで行われた

      「万国博覧会」に出品! しかし、製造が難しいのと運搬しにくいなどの理由であまり 使われない。


   大正、昭和

       大正時代にはいろいろな機械が導入されたとの事です。

      ジェラールから遅れる事50年!土練機、製瓦機等が愛知県の三河地方で導入されまし色た。

      1925(大正12年) 関東大震災  (瓦の信用を落とす)

      以後、瓦の需要は激減する。関東では戦前までトタン葺きが主流となる。

       (最近の「阪神大震災の後みたいですね)

      1926年に内務省は「市街地建物法施行規則」を改正し引掛桟瓦の使用を勧める。




                  近年のことは、差し控えます。 あしからず。