榮山寺
音無川(吉野川)を眼下に望む榮山寺は藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで栄華をほしいままにしました。 創建は養老3年(719)藤原武智麻呂公によるといわれています。
武智麻呂の子、仲麻呂が父母追善供養のため天平宝字年間(757-765)に建立。
夢殿に似たこの堂は、内壁などに極彩色の仏画が残り、天平時代を代表する唯一のものともいわれています。
古来は前山寺あるいは崎山寺と呼ばれ、いつしか「榮」の字が当てられたといわれています。
「崎」とは岩が川の瀬に張り出したところ、そこには美しいよどみができ、瀬音が消えます。
吉野川を「音無川」と呼ぶのはこのためで、川の水色は深みのある瑠璃色、青磁色をしています。
この榮山寺には特筆すべきものも多く、法隆寺夢殿とともに奈良時代を代表する国宝「八角堂」や宇治平等院の鐘とともに 「平安三絶」の鐘に数えられている梵鐘は、表面の銘文は撰者が菅原道真で筆者が小野道風と伝えられます。
高さ157.4cm、口径89cm、青銅製。
4面に菅原道真の撰、小野道風の書と伝えられる陽祷の銘文があります。
龍頭の精巧なこと、鐘身の美しさも含めて、京都神護寺、宇治平等院の鐘とともに日本三名鐘の一つとされています。
榮山寺形といわれる石灯籠は、弘安7年(1284)の銘がある鎌倉時代の遺品。 日本二百撰の石灯籠の仲で、8番目にランクされるといわれています。(総高243cm)