御霊神社
宇智郡(現五條市全域)に分布する御霊神社の本宮
井上内親王の霊の怒りを鎮めるために建てられたといわれる神社
丹生川に臨む高位置の宮崎に鎮座し、井上内親王・早良親王・他戸親王を杞っています。
住所 | 〒637-0035 五條市霊安寺町2206 |
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連絡先 | 御霊神社本宮 社務所(Tel.0747-23-0178) |
ホームページ | http://goryojinja.or.jp/goryo/honguu |
光仁天皇の皇后井上内親王が藤原百川の策略により冤を蒙り、 宝亀三年(772)三月巫女に天皇を兄誼せしめたという罪に坐して皇太子他戸親王とともに廃され、 翌四年十月に天皇を惑害したという罪をもって大和宇智の没官宅に幽され、 同六年四月二十七日母子同日に獄死したという歴史に基づいています。
当時天災地変しきりに起ったので、その御霊を弔うために霊安寺が創立され、さらに神祇として御霊神社が祀られました。
御霊大明神略縁起によれば、はじめ他戸親王の子従五位下上彦をして祭事を司らしめたといわれています。 今なお奉斉する御霊大明神の神像や神宝によって藤原時代末から鎌倉時代にかけて当社の神威の輝いていたことが判ります。
縁起によれば嘉禎四年(1238年)閨二月、吉原・牧野の争論によって御霊勧請の神を郡内十カ所に分祖し、 称光天皇の正長元年(1428年)秋、諸国に一撲が起って天下乱れたので、 当地の守護畠山氏は大軍を宇智郡に遣して神社・仏閣や土民百姓の家に至るまでことごとく焼き払ったという。
棟札によれば本宮は康正元年(1455)十一月、ついで寛永十四年(1637年)に造営され、 このときの材木や彩色の諸覚が遺っていて建築上の詳細を知ることができます。
享保十一年(1726年)二月、同十九年四月、いずれも神主藤井宮内義明のとき、 つぎに延享三年(1745年)九月、神主藤井豊後守豊重のとき、慶応四年六月神主藤井出羽正頼重のときに、 それぞれ改修があって遷宮が行なわれました。
いまの御霊神社本殿は寛永の建立で三間二間の流造、檜皮葺に極彩色を施してあります。
昭和29年3月2日、奈良県指定の重要文化財となりました。
この向って右方に早良神社・八幡神社、左方に他戸神社・春日神社があって、何れも春日造で、拝殿はもと割拝殿であったという。 拝殿の前方、向って右に金刀比羅・住吉・祓戸の三社があってこれも春日造である。
祓戸神社はもと神宮寺なる霊安寺にあって庖瘡神といわれていました。
当社の祭礼は毎年10月の最終日曜日にに行われ、五條の夷子社に渡御して盛大に行なわれています。
-五條市史より抜粋-