新町通り
江戸時代の街並みを残す
吉野川下流沿いに開けた大和盆地の西南にあたる五條市は、古くから大阪と紀伊を結ぶ交通の要衝でした。
そして、東に向かう道を伊勢街道、西へ向かう道を紀州街道と呼んでいました。
北をたどれば、荒坂峠を越え、三在から分かれる下街道を通り、奈良盆地へ抜けることができました。 また、金剛山地を越えて河内へ抜ける河内街道も通じていました。
さらに、吉野川には三十石船や奥吉野から木材を運ぶ筏(いかだ)流しも見られ、水陸交通の要地でもありました。
道は、物資の輸送、人の往来だけでなく、文化をも運びました。
明治の末になって鉄道が開通し、街道もそれぞれ国道24、168、310、370号として整備されました。 しかし、旧紀州街道には今でも江戸時代の景観を残す街並みが残っており、宿場、商業のまちとして発展した往時の栄華をしのばせています。
この街並みの保存を考える自主活動団体「新町塾」は新町通りの活性化と街並みをアピールするため活発な活動をしています。
日本最古の民家「重要文化財 栗山家住宅」
旧伊勢街道の名残で、今でも江戸時代の商家の街並み、風情を色濃く残す新町筋の中でも、 特に国の重要文化財の栗山邸は、建築年代のわかっているものでは日本最古の民家といわれています。
棟札に慶長12年(1607年)□月吉祥日の銘があることから、日本最古の民家とされています。
全面積の4割を占める広い土間と床上整形6室からなっています。
屋根は本瓦葺きで反りがついているので実に堂々とした外観を見せています。また内部も太い柱や梁が組み上げられていて豪壮雄大です。